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本:文藝春秋3月号『独立器官』(村上春樹)

この間、話題の月9『失恋ショコラティエ』をはじめて見た。

はじめて見たのにも関わらず、

それまでのストーリーが分かってしまうところがいかにも少女漫画らしい。。。

しかし少女漫画にしては、月9にしては、かなり内容の濃いドラマだ(色々な意味で)。

特に今週(第8話)は急展開だったようで、

サエコ(石原ひとみ)とソウタ(松本潤)がついに関係を持つ回だった。

その事実に憤慨したカオルコ(水川あさみ)がサエコを問いつめるのだが、

「私、ソウタくんには好きになってもらいたいけど、別に私が本気で好きかって言われると…。

っていうか、本気で好きってどういうことですか?」

とまるで悪気のない表情で逆質問される。

カオルコにもちろん返答はできない。彼女もただソウタに思われたいだけだったから。

激しく混乱する彼女は、

 

『ソウタくん気をつけて。あの人、気持ち悪いよ。

女って、気持ち悪い生き物だよ。』

 

と心の中でつぶやく。

 

…いよいよ月9で扱う物語ではない気がした。

(どこで扱えばいいのかは分からないけど)

 

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文藝春秋3月号には、芥川賞受賞作の『穴』が掲載されている。

それにつられて買ったのだけど(もちろん読んだ)、

生粋の村上春樹ファンである私の心に深く残ったのは

例のごとく彼の文章だった。

 

 

今回掲載されていた文章は『独立器官』。

あらすじを書かないと話が進まないので簡潔にまとめると以下のような話であった。

(※ネタバレ)

 

 

美容整形外科医の渡会医師は金銭的にも性生活的にも何ひとつ不自由のない生活を送っている。

彼は外見はもちろん素敵なのだが、教養が深く、人(特に女性)を魅了する術を生まれつき与えられたタイプの男性だ。

しかし相手に深入りするほどの恋愛には興味がなく、また不必要だとも思っている。

そのため必然的に浮気や不倫の相手になることが多い。

おおかた相手の女性は美しい上に知的なので、面倒なことになることは少ない。

彼は、女性が難なく嘘をつけるのは「独立器官」を持つからだと考えていた。

それは完全に独立した器官だから嘘が暴かれることもないし、彼女たち自身が傷つくこともない。

なんにせよ渡会は私生活のスケジュールまで管理してくれる有能な男性秘書がいたおかげで、

そのような魅力ある複数の女性たちとの潤いのある生活を保っていた。

しかし、そんな彼の心に1年半の付き合いがある女性への恋心が芽生える。

どう頑張っても彼女に魅かれる心を押さえることができない。

それは今まで感じたことのない感情で、自分ではどうすることもできない。

しかし彼女には例によって夫がいて、さらに5歳になる娘までいた。

いわゆる「恋煩い」に悩まされる中で、彼の心の中にはあるひとつの疑問が生まれる。

「自分はいったい何者なのだろうか。」

アウシュビッツ収容所に送り込まれた裕福なユダヤ人医師が個を失っていく様子を綴った本を読んだこともあり、

彼はこの疑問と激しい恋の両方に悩まされることになる。

最終的に彼が恋いこがれた女性は、家も渡会も捨てて年下の彼氏と駆け落ちをして姿を消す。

渡会医師は利用されていたにすぎなかった。

それにショックを受けた彼は心を病み、食べることを拒否し、

そのまま(自らをゼロに接近させていくように)死んでいった。

 

 

話としてはこういった物語になっているのだが、

気になる点は村上氏(文章では谷村となっている)自身が彼から相談を受けており、

医師の死後秘書の男性から死因を聞かされるという設定になっている上、

現実に起きた話である、ということが明記されていることだ。

 

恋煩いで亡くなる人が本当に実在したのか?

(亡くなる、と実在、という言葉の並列による違和感は見過ごしていただきたい)

 

しかし渡会医師の痛々しいほどの言葉たちを読んでいると、

そういうのもありえるのかもしれないと思えてくる。

 

「彼女の心が動けば、私の心もそれにつれて引っ張られます。

ロープで繋がった二艘のボートのように。

綱を切ろうと思っても、それを切るだけの刃物がどこにもないのです。」

 

恋と書くとなんだか幼く感じるけれど、

本当の恋というのは確かにそういう強引で、暴力的なものなのかもしれない。

その中では権力や金や名声などは全く役に立たないし、

ただただ非力な自分に気付くことしかできないのかもしれない。

 

行き場のない焦り、怒り、不安、そういうものが恋には含まれていると思う。

そしてそれらを解消する手だては、自分の手の中にはない。

理不尽なのだ。恋という気持ち自体が。

 

そういった気持ちにはもう出会わないと思っていても

ふと気付くと出会ってしまう。吸い込まれて行く。不可抗力。

 

しかしそんな渡会医師の苦悩をよそに、彼が愛した女性は何の慈悲もなく彼を裏切る。

報われない渡会医師。あわれな渡会医師。

家庭も、尽くしてくれた渡会も捨て、年下の彼と駆け落ち。とんでもない女性だ。

 

…本当に「とんでもない」のだろうか。

 

彼女も「恋」の犠牲者なのではないのか、という疑問が湧いてくる。

単に快楽を求める女性は満ち足りた家庭生活を捨てたりはしない。

渡会を魅了するような知的な女性であるならばなおさらだ。

彼女もまた、間違ったボートに繋がってしまった者の一人だったのだろう。

 

恋はステキなものだと、

幼い頃からたくさんの漫画や本から学んできたが

現実はこうだ。

 

ステキな恋愛なんて、ままごとのようなものに過ぎないことに気付かされる。

そしてままごとのような恋愛ほど退屈で無意味で無益なものはない

本当の恋に身を焦がして死んでいくことの方が、

そんな恋愛しかできない人生よりも幸せなのかもしれない。

 

恋に身を焦がして死ぬ、だなんて辛い死に方だと思うだろうか。

でも本当の恋が実らない場合、そしてそれにひどく傷ついた場合、

選択肢は「ゼロに接近すること」しかないのかもしれない。

 

 

最後にひとつ、渡会医師に反論したいことがある。

 

それは女性全員が独立しきった器官を持つわけではないということ。

知的で美しい女性には、あるいは備わっている器官なのかもしれない。

しかし、それは決して神秘的な、キレイなものではない。

それは持つべき器官ではないし、あまり使うべき器官でもない。

なにかを得ればなにかを失う。

その法則は真理であり、この独立器官を得ることで失う何かは大きい。

 

おそらく女性が「気持ち悪い」か「気持ち悪くない」かは

この独立器官に対する価値観の差異も一つの要素になる。

 

おそらく、若くて経験(数の話ではない)の薄い多くの女性には

独立しそこねた器官が備えられているのだと思う。

それが完全に独立するか否かはそのときの恋愛による。

 

男性には「独立した器官をもつ女性には気をつけろ」、

と忠告するしかないのだが(さながらカオルコさんのように)、

おそらく無駄なことだと思う。

理不尽な流れの中においては、

そういう忠告はまったく何の力も持たない。

 

理想の恋愛とか、素晴らしい恋愛物語とか、

そういうものは大抵「うまくいった場合」である。

たまたま流れた先に住むのにうってつけの島があっただけだ。

 

流れた先に穏やかな楽園があるとしても、

急な崖であるとしても流れるしかできないのだけど。