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ブログを始めるにあたって

ブログをいざ始めようと思いアカウントを取得して

「よし順調に始められそうだ!」と思っていた矢先、

そのやる気をへし折るように意気消沈させられるのが

プロフィールの制作。

自分が胸を張って詳しいと言えることなんてないという衝撃の事実が立ちはだかります。

そしてこんな自分が意気揚々と世の中に何かを発信しようとしていることを恥ずかしく思って取得したアカウント共々穴があったら入りたいという心境になり、終了。

 ...という人が私以外にも数人いると信じたい。

というのもこの間までTwitterのプロフィールで

大学名/活動/趣味のキーワード/好きな著者/バンド名/映画監督/俳優/etc.

というように日々の自分を構成する要素を羅列する自己紹介がはやっていましたが

私の周りではこういう書き方をする人が減少しているように思われるからです。

 

Twitterが色々な問題を顕在化させた2013年でしたからみなさん慎重になっているのかもしれません。

しかし最大の暴挙・空白も乱用されているという今の状況はそれだけでは片付けられない事態のように思う訳です。

下の名前のみのアカウント名で「同じ学部で同じ授業を受けてる○○ちゃんだ!」と分かるはずもありません。最悪の場合フォローされても気づきません。

どういう人か、何に興味を持っているのか、そういった「個」の内面的情報が重要視されるネットの世界においてなぜこの空白プロフィールが乱用されるのか。

それは「ネットのみの繋がりは求めていない」「SNSをあくまでプライベートな発信な場として使用している」人が多いからなのではないかと。

私もネット上(オフラインでも同じですが)で自分をアピールするのは得意ではありません。だから空白にしたくなるのも分かる。しかしネット上で発言するためには最低限の内面的情報を晒す必要がある。

プロフィール欄の空白はそういった「公の場であるということに対しての気兼ね」や「公の場であるという意識による危機管理意識」「発信したい欲」「情報収集欲」をぐるぐると混ぜあわせたものなのではないかと思います。

昨年問題として取り上げられたいわゆるバカッター事件によりネットに関しての教育の必要性が議論されるようになりました。

もちろんネット社会を「公に開かれた誰もが閲覧できる場」として認識し、その前提をもとに発言・発信を考えていくのが当然求められること。

 

しかし逆に言えば知識がゼロに近い人でも利用できるものがネットであり、ネットがそういう存在である限り誰が利用しようと非難することはできないし、規制することもできない。

ということはですね。

例え自分が個性薄弱ななんともない個だと気づいて絶望したとしても

このネット上の世界で一文字も発信することができなかったら一生どこでも発信できるような人になることはないということですよ!

と、いうわけでブログの重要要素であるプロフィールさえ納得して埋めることができない女子大生がこうして文章をこしらえることを決意したわけです。

 

まあシンプルに言ってしまうとMacbook Pro を手に入れてどこにでも気軽にパソコンを持ち運びできるようになったというのがブログ開設の主な理由です。。。

このスペックの高いパソコンを気軽に持ち運べるという便利さに感謝し、

就職活動にも精を出したいとぼんやりと思う次第です。

 

こんな感じでゆるゆるっとブログを続けるのが2014年の抱負。

どうぞよろしくお願いします。